こんにちは、響です。
《メリー・ウィドウ》というオペレッタはご存じでしょうか?
「陽気な未亡人」とも訳されているこの作品は、ウィンナ・オペレッタの傑作の一つです。
そして、作曲者であるレハールは、この作品一つで世界にその名を刻み込みました。
彼はこの作品以外にも17個のオペレッタを残しています。
《微笑みの国》《ウィーンの女たち》《ジプシーの恋》《エヴァ》《フリーデリケ》――
いずれも、今なお世界各地の劇場で上演されている名作ばかりです。
だというのに、フランツ・レハールというと誰もが《メリー・ウィドウ》という。
この皮肉ともいえる理由って何なのか?
少しだけ立ち止まって、考えてみたくなりました。
◇ ◇ ◇
まず、大前提としてこれだけは言っておきますね。
フランツ・レハールという人はよく言われる「一発屋」ではありません。
たしかに、彼は《メリー・ウィドウ》という金字塔を立ち上げました。
この作品だけで終わっていたのなら、彼は一発屋と呼ばれても仕方がなかったかもしれません。
でも、レハールという作曲家は、この作品の後からも名作を生み出し続けています。
というより、《メリー・ウィドウ》は彼の3作目のオペレッタ。
つまり、最初期の作品なんです。
この一作が、あまりにも時代にマッチしてしまった。
それが、レハールという作曲家を「一発屋」のように見せてしまった理由なのでしょう。
レハール以外にもオペレッタ作家は大勢います。
中でも《美しく青きドナウ》のシュトラウス2世は、双璧ともいえる存在。
彼が書いた《こうもり》は《メリー・ウィドウ》と並んでウィンナ・オペレッタの傑作です。
でも、世界標準になったのは《メリー・ウィドウ》でした。
これには、一つの大きな理由があります。
それがアメリカでの2度の映画化。
ヒロインの名前は変更されてはいますが、レハールのメロディーは輝いています。
《ヴィリアの歌》や《メリー・ウィドウ・ワルツ》は別の映画でも使用されるほどの名曲なんですよね。

ここで、勘違いされることが多いので、ちょっとだけ。
オペレッタと同じように歌と芝居で進行していくオペラ。
オペレッタよりもオペラの方が高尚だ。
そんな風には思わないで欲しいんです。
どうしてか?
この二つはまるで性格が違うからです。
どちらも愛や運命を描いています。
ただ、オペラは、一度始まったら、もう動かすことのできないもの。
それに対してオペレッタは、軽やかに踊りながら進んでいく――
そんなイメージなんです。
そして、面白いことに、クラシックをやっていた人ほど、そうなってしまうんですよね。
こちらも理由は簡単です。
声楽出身の人は、オペラアリアもオペレッタナンバーも、まずは同じ“歌”として向き合うことが多い。
一方で、ピアノや楽理を中心に学んできた人は、どうしても“構成”から見てしまう傾向があるように感じます。
だからといって、軽さが悪いっていうんじゃないんです。
オペレッタの軽やかさは、19世紀から20世紀という時代の変換期にマッチした。
人々は明るさと華やぎを求めて、楽しんだんです。
そして、レハールの音楽が今でも上演され続ける理由。
これはとても単純です。
甘く夢見るようなメロディーは人々の心と記憶に深く残るからなんです。
オペレッタの中で歌われる旋律の数々は、今日でもスタンダード・ナンバーとして残っています。
映画音楽として耳にされたこともあるのではないでしょうか。
レハールの悲劇は《メリー・ウィドウ》という誰もがわかる傑作を初期の段階で発表してしまったこと。
そして、その作品がアメリカのミュージカル映画の先駆けになってしまったこと。
この二つだったのではないか、と思います。
なんといっても、彼の作品の集大成ともいえる《微笑みの国》――
これはオペレッタをこえてオペラにも通じるような作品です。
これを生み出せる作曲家が「一発屋」のはずはありませんよね。
レハールはただの「一発屋」ではなく、世界を動かした「一発屋」でした。
その原動力となったのが、《メリー・ウィドウ》――
この作品は、「オペレッタが映画になった」のではないんですよね。
「映画が求める条件を、最初から備えていた」作品だったんです。
形は変わっても、「祝祭の中で恋が成就する」という物語は変わりません。
《メリー・ウィドウ》が、登場人物それぞれのハッピーエンドで終わる、その軽やかと華やかさ。
それが《メリー・ウィドウ》の強さでしょうし、一発で世界に残った理由なのではないでしょうか。
やはり、物語はみんなが幸せになる結末を楽しみたいですよね。

結局、音楽って“歌うように奏でる”ことなんですよね♪
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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